越後座との座勝負から数日後。
　職人たちの手によって、くたびれた社はもとの厳かな彩りを取り戻しつつあった。

「よかったですね、慎太君、すみれさん」
「ああ――これで、すみれがバカにされることもなくなった」
「本当に、ありがとうございます。……本当は、こんなふうにしてもらわなくても、
　ただそっとしていていただければ、それでよかったのですが」

　その控えめな物言いに、首を振ったのは、今回のことを仕掛けた陰陽師の銀狐だった。

「結界を維持するのに、社のことなどどうでもいいと考えていた。
　だが、それは勘定方との折衝を避けていた俺の怠慢だ。
　社そのものが軽んじられてしまえば、こういうことも起こりうるのだと、思い知らされた」

　銀狐はすみれに深く頭を下げ、これからも結界の守護を頼むと、強く握手を交わした。
　すみれは、これでもあなたより年上なんですけどね、とはにかんだ。

「ところで――街を襲った穢ノ神って、いったいどういう存在なんですか？」

　彩の問いかけに、銀狐は、ただでさえ堅い顔をいっそう険しくして答えた。

「おとぎ話のようなものだ。
　高天原と黄泉……穢れながら無限によみがえる軍勢と、世を清める力を持つ神々の戦いの最後に現れる、
　『高天原に生まれながら、天津神を裏切った』神々――」

　神話によれば、穢ノ神はその大いなる戦いのあとに現れ、
　黄泉の神々が、戦場であった葦原のものたちに働きかける「術」をもたらしたといわれている。
　それが直接の原因であるかは定かでないが、昨今世を騒がす「黄泉憑き」という名前は、
　その「黄泉の神々によって、葦原のものが脅かされる」という伝説からうそぶかれているものだという。

「だが、穢ノ神たちは、天津神によって封じられた『塞ノ門』を開くことで、
　黄泉の神々を解き放とうとして、天津神に残らず封じられた。
　――そんな話を、よもや鵜呑みにしなければならない時が来るとはな」

　銀狐の言葉を受けて、彩もまた、珍しく眉を上げてため息をついた。
　……もしそんなことが繰り返されれば、いま葦原に住んでいるものはどうなってしまうのか。
　町を城砦でかこい、強固な結界を張ったとて、いったいそれが、神々の戦の前にどれほどの力を発揮するのか。

「恐ろしいことになる前に――何とか、しなくてはいけませんね」

　誰にともなく、彩はそうつぶやき、桜稜郭の花びらが舞う空を見つめたのであった。


◆◇◆


　――暗く、蝋燭だけがてらてらと明らめるその部屋で、
　真蛇は木像たちに祈祷をささげていた。
　いけにえを得た、その木像は、誰の手を借りるでもなく、復活を求めてガタガタとふるえていた。

「もはや我が助けなど不要でしょう。
　穢ノ神たちよ――さあ、ここにその身を目覚めさせたもう！」

　真蛇の呼び声に応えて、木像たちは瘴気を吸い込み、ムクムクと体を取り戻していく。
　そして次々に禍々しい姿を得て、闇の中に並び立ち始めた。

　そのうち――鬼のような姿をしたものの中に、ひとつ、なまめかしい女性の姿が現れる。
　憎しみと怒り、そして歓喜をたたえて狂気めいた光を瞳に宿して、彼女は真蛇に向かい合っていた。

「――私を呼んだのは、あなた？」

「おお……いかにも。
　穢ノ神がしるべ、炎の心臓よ……」

　手を広げて歓迎の姿勢を示す真蛇に、その女性は――
　「ちょっとカンベンしてよ」とでも言いたげに、手を額に当て、ため息をついた。

「何よ、そのダッサい呼び方！？
　せっかく長い間眠ってたんだから、当世風に呼んでちょうだい」

　彼女は炎を纏って自らを照らし、瘴気をかみしめるように吸って、
　そして高らかに構えた巫女鈴を鳴らした。

「――輝夜（かぐや）。
　私のことは、そう呼んでよね。かわいそうな蛇の子ちゃん」

「……仰せのままに。我が神、輝夜よ」

　輝夜と名乗った穢ノ神は、巫女鈴を向けて、真蛇を跪かせた。
　その背後には真蛇と同じく、多くの穢ノ神が従うように首を垂れていた。
　彼らの中には、この事件で片腕を奪われ、憎しみに震えているものもいた。

「ふふ……あなたの願い、聞き届けましょう。
　それは我々の悲願でもある」

　輝夜のその言葉は、重く、そして深々と、その空間を揺らすように響いたのであった――。