邪神と妖狐と桜の城
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■華乱葦原、花の舞――銀狐と絢狐の再会に、祝福と祈りを込めて――(3)
「それにしても……銀狐くんも名題前かぁ……」
渋谷 柚姫は、横に並んだ銀狐にしみじみとした視線を送る。
「大変だったよね。名題前に上がるのってさ」
「ところで柚姫。本当に、やるのか?」
銀狐はお話を楽しむ気にならないらしく、非常に渋い顔をしている。
「もちろんだよ。これなら絶対、絢狐さんも喜んで目覚めてくれると思うよ?」
反して柚姫は、ノリノリだ。
「………………」
「もぅ、ほら行くよ?」
渋る銀狐を引っ張って、柚姫は舞台へ飛び出した。
舞台の向こう端からは、羽鳥 唯が飛び出して来た。
柚姫と唯、さらには一緒にいる銀狐の芸格を感じ取り、観客達は自然と視線が熱くなる。
柚姫と唯が元気よく神通天幕を広げれば、辺り一帯の風景が神々しい雲海と光芒が満たす空に変化する。
天幕の放つ特別な雰囲気に触れ、観客達は期待感たっぷりだ。
柚姫は天幕が作り上げた空に色街の花札をばらまき、色鮮やかに飾った。
「いいよ、銀狐くん!」
柚姫が合図すれば、しぶしぶながら銀狐が陰陽の折り紙を手に術を口ずさむ。
神が自然に折りたたまれ、
ぴょん♪
手のひらに乗るほど小さい、白い子狐が現れた。
子どもの落書きのように、ほんの少し不格好だが……
「……か……かわいい!」
観覧席から声があがる。
「久しぶりだな………」
平然とした態度であいさつしながらも、銀狐の耳はぴこぴこ動いている。
語尾が濁したのは、このキツネの名前を言いそうになったからだ。
子どもの時分につけた名なので、およそ人に聞かれてはならない。
「こんなかわいい式神や絢狐さんと、穏やかで楽しい幼少期を過ごしていた銀狐くんですが……」
ギュイン!
前に踊り出た唯が、夜桜六絃琴をかき鳴らす。
奏でるは、燃え盛る炎のように猛々しい和風ロックナンバー、唐紅六訓楼屡。
音にびっくりしてしまい、銀狐の白い子狐は逃げ去し、舞台の雰囲気はガラリと変わっていく。
「母上のためとあれば、仕方あるまい」
陰陽の術を唱え終わった銀狐が、虚空に忌々しく禍々しい文字を描きパンと手を叩く。
怨念の炎に包まれた真っ赤な狐が数匹、ゆらゆらと現れ出た。
「ただの演出だ。危険はない」
狐達は荒々しくもどこか切ない声をあげながら、唯の周りを駆け回る。
唯が奏でているのは、母、絢狐が処刑されたと思い込み、彼が人間たちに怒りを感じていた日々を現した曲。
観覧席にも、銀狐が作り出したこの地獄絵図が、そしてこの曲が、何を意味しているか伝わっている。
銀狐が術を解くと狐は消失し、そのタイミングで唯は曲を変える。
♪~
そして、天下御免の和風ラブソング。
唯は、再会を夢見て頑張る男性のラブソング……を、親子愛の歌詞にアレンジして歌った。
銀狐は表情を崩さないが、明らかに照れている。
観覧席からこちらを見上げている葦原の民は、心から銀狐の再会を願っていることが見て取れた。
今、自分の横にいる柚姫と唯も、これまで舞芸を繰り広げて来たふぇすた座の舞芸者達も――。
舞台の右上の魔法陣はますます輝き、その時がどんどん近づいていることを語っている。
「……」
銀狐は心をこめ、静かに詠唱する。
(母上に、今の葦原を見てほしい)
たくさんの符がばらまかれ、それは陰陽の術によって生き物の形に変化した。
影絵のようなフォルムだけだが、それがどんな生き物かは一目で判る。
鳥、虫、獣、爬虫類に両生類、そして妖怪達――
皆楽しそうに踊り出す。
「それじゃあ私は、人間を」
柚姫は、腕によりをかけて唐草紙人形を作り出す。
銀狐と柚姫、二人の手ですべての生き物が揃ったことを感じ取り、観覧席から拍手が起きた。
こうして現れた生き物達は、楽し気に踊り出し、唯の歌は最高の盛り上がりを見せた――。
どこから出てきたのか、先ほど逃げ消えたと思っていた白い小さな子狐の式神も現れ、
「かわいーい!」
観覧席から黄色い声があがり、やがて演目は終了を迎えた。
柚姫は、大きな紙で折られた大きな鳥――大折鳥に飛び乗って退場。
「次は銀狐が退場する番だよ? 笑顔笑顔♪」
唯にせっつかれた銀狐は、言葉に詰まっているようで、ただ静かに頭をさげた。
そして唯は、人当たりの良い下町喜色の笑顔を浮かべ観客に別れを告げた。
感じる……。
清々しい、ハレの気を。
いとおしい、あの子の気配を。
これは……夢なの?
それとも――
柚姫と唯との共演が終わりほっとした銀狐だったが、まだまだ出番が続き、大忙しだった――。
銀狐は一人で舞台に立つと、陰陽の術で数体のがしゃ骸骨を影を出現させた。
がしゃ骸骨たちは、今にも観覧席を襲いそうな邪悪さを醸し出しながら舞台を徘徊。
そして、銀狐自らも同じ雰囲気を出しながら、狂暴そうに舞い、歩く。
そこへ、白い女狐に扮した龍造寺 八玖斗が通りかかった。
「黄泉憑き達……。可哀そうに。操られているのですね」
八玖斗の芸格を感じ取った観客達は、自然と視線が熱くなる。
「出たな、陰陽師め」
黄泉憑きの銀狐はがしゃ骸骨達と共に、女狐の女形姿の八玖斗に襲い掛かる。
八玖斗は毛皮やしっぽを揺らし、慣れた身のこなしでそれをかわして呪文の言葉を口にする。
すぐにがしゃ骸骨は消失。
しかし銀狐だけは、舞台に残っている。
女狐の八玖斗は、実戦用の太刀『黄金丸』を(実際に抜いたら大変危ないので)鞘から抜くふりをしてふりかざす。
そして陰陽の術を使っているような仕草を演技しながら、朧芸者の符にて幻の舞芸者達を召喚した。
黄泉憑きと陰陽師の女狐は、迫真の殺陣を開始した。
本物の戦闘以上の派手で華やかな音や衝撃が起き、それを幻の舞芸者達が演奏と踊りで盛り立てる。
死闘の末、女狐は黄泉憑きを倒した――
倒した黄泉憑きを悲し気に見下ろし、女狐は懐に手を入れ一枚の紙を取り出し広げた。
「この子が大きくなっても、このような事が続くのでしょうか」
女狐の八玖斗は、観覧席にもよく見えるようにそれを掲げ、愛おしそうに眺める。
それは狐の半妖の赤子を描いた版画だった。
我が子を抱くように大切そうに胸に寄せ、女狐は歌い出す。
♪ 君の微笑み 守る為傷つこうと怖くないわ
♪ 例え立ち向かう物が 何であっても
おそらく誰もが銀狐と絢狐を想像し、しんみりとした表情になっている。
しかし……
(ん???)
八玖斗は、目の前で倒れている黄泉憑き役の銀狐が、耳をぴこぴこさせていることに気づく。
観覧席に顔を向けていないので目立たなかったが、八玖斗からは、表情までもよく見える。
銀狐の表情は明るく、今にも笑い出しそうだ。
(どうしたんだ? 銀狐)
八玖斗はその違和感を顔には出さずに演技を続け、深い声で意を決したように言う。
「貴方の住む場所が少しでも良くなるならば、母は後悔はしませんよ。
例えこの瘴気を封じる為に……貴方に二度と会えなくなっても」
だけどやっぱり銀狐、あなたに会いたい――
「……?」
八玖斗は演技を止めず、しかし内心首をかしげる。
いま、耳の内側で女の声が聞こえた気がしたのだ。
倒れている銀狐は、何か言いたげに八玖斗を見上げている。
その目は、輝きに満ちている。
♪~
そして芝居は佳境へ。
八玖斗は、女狐は、祈るように、捧げるように、葦原・花の舞を舞う。
♪~
そして桜の花びらが舞い踊る中、八玖斗はそのままゆっくりと倒れる。
「貴方は……笑顔で桜を見れますように」
今のあなたはたくさんの仲間に慕われて、笑顔で桜を見ているようね……
(ああ、まただ……)
不思議な声を感じながら、八玖斗は眠るように目を閉じた。
観覧席の皆が、涙ぐみ、拍手を送る。
しかしたった一人銀狐だけは、耳をぴこぴこさせながら目を輝かせている。
舞台を降りた先。
八玖斗は銀狐に共演の感謝を伝え、立話をしている。
「真実は知らないがな、こういう事だとしたらお前の母親って凄いな」
八玖斗の言葉に、銀狐は真顔で頷いた。
「なかなか当たっていると、感心していた」
「えっ?」
「母の声が、はっきり聞こえるようになってきた」
「なるほどそういうことだったのか。ああ……優しい声だったな」
これは、夢じゃない……
確かに聞こえる。
確かに感じる。
満ちていくハレの気。
楽しく、新しい舞芸。
これまでと違う風。
あの時よりもさらに立派になった、銀狐の気配――
こ れ は、夢 じ ゃ な い。
「銀狐ちゃん……もしかして、感じてる? ママの気配」
平静を装いつつもどこかそわそわしている銀狐の手を、シャーロット・フルールがそっと取った。
「銀狐さんのお母さん、遂に目覚める時が来たんだね!」
虹村 歌音は晴れやかに笑いながら、やはり銀狐の手を取った。
シャーロットと歌音は目を合わせ、そして心から嬉しそうに笑った。
((ホントに良かった! あの時は……見ていられないくらい、つらかったもんね))
シャーロットが明るく、しかし大切に大切に、銀狐に伝える。
「にゃは☆ やっぱ家族は一緒じゃないと」
その言葉の重みを知っている虹音が、まるでシャーロットのように飛び上がり、ひときわ明るく元気に言った。
「行こう、銀狐さん! シャロちゃん!」
舞台の右上。
魔法陣は、一等星のようにきらきらと輝いている。
シャーロットが、歌うように祈るように言う。
めでたき実りの祝いにて
母に習いて折りしは――
シャーロットの言葉に合わせ、銀狐が陰陽の折り紙を手に術を口ずさむ。
ぴょん♪
先ほど一度現れた、手のひら大の白い子狐が現れた。
会場が湧き和む中、アレクス・エメロードは豊穣をつかさどる天津神への祈りの舞い、御饌稲成を踊る。
「姫さん。必要だっつーから覚えてきたぞ」
踊りながらシャーロットを見るが、およそこの呟きが届いているとは思えない。
「悪い悪いアマツカミさん。まじめに踊るって」
アレクスは苦笑いして、踊りに専念。
ほどなくして、周囲には光の稲穂と狐達の幻が現れた――。
光の稲穂と狐達の走り抜ける景色の中、歌音が歌い出す。
多くの者が知っている、華乱葦原で定番の和風ポップ曲。
それをBGMのように軽く流し歌いながら、歌音は舞った。
歌音が踊るのは、ぽかぽかと晴れやかな調子のおさんぽ日和の舞。
それを、「狐の親子のお散歩」を心に描きながら舞う。
舞につられて、その辺をお散歩していた小動物――鳥やら猫やら兎やら――が集まって来る。
舞台上を行き交う、祈祷で現れた狐達も、銀狐の式神のちび狐も、妙に楽しそうに反応している感じがする。
――銀狐さんが幼かった頃を思い出してもらえると、嬉しいです。
歌音は、絢狐に話しかけながら舞った。
稲を刈り
落穂を拾いて
米を炊き
母は子へと餅をあげ
シャーロットと銀狐は、複数の小ぶりの折り紙を手に、陰陽の術を唱える。
するとそれは、自然に蝶の形に折られ、鱗粉のような粉を降り注ぎながら空を飛び周った。
舞台の上では、式神の蝶の力で用意されていた桜餅がふわふわと浮遊している。
シャーロットが一つ手に取りぱくりと食べて銀狐に説明する。
「此花ちゃんの桜餅だよ♪ んー、おいしーぃ」
「此花の?」
「銀狐ちゃんママと此花ちゃんママってお友だちだったみたいだから、
娘の此花ちゃんが作ったものでも、絢狐さんは懐かしいんじゃないかな」
シャーロットは浮遊するいくつもの桜餅を、観覧席に向けて押し出す。
「見てくれる皆にもお裾分けっ♪」
観覧席からは、嬉しい声があがる。
「甘~いお菓子でテンションあげたら本番だ☆」
シャーロットとアレクスが、ひらり、神通天幕を広げる。
辺り一帯が、神々しい雲海と光芒が満たす空に変化。
人々の期待がますます高まったことは言うまでもない。
歌音は天幕が作り出した神々しい空を見上げながら、小さく飛び跳ね天綴の舞を舞い、そこからより高度な天津舞いを展開。
歌音は空中に浮かびあがりつつ、舞い続ける。
ひらめく神通天幕の下、アレクスがダンと足を鳴らして威勢よく口上した。
「さぁ、こっからがリトルフルールの真骨頂!
目ん玉かっぽじって、とくと見やがれ!」
アレクスは、ハープのような形の楽器、陽の天津弦杖を奏で、歌音と同じく天津神の舞を踊り空中へ。
歌音とアレクスの2人が神々しい景色の下で、天津神の舞いを踊っていると……
ふわあっ……
観客の頭上から、風が起きた。
ひっそりと出番を待っていたウィリアム・ヘルツハフトが、麒麟に乗って空から華々しく登場したのだ。
麒麟は2匹。
その1匹に、ウィリアムが乗っている。
「歌音、来い」
ウィリアムは空中で天津舞いを踊っていた歌音に向けて、手を伸ばした。
「うん!」
歌音はウィリアムの手助けを借り、無事にもう1匹の麒麟に飛び乗った。
二人はそのまま、観覧席の上空へと舞い上がる。
これにてリトルフルールの4人が勢ぞろい。
4人それぞれが漂わせる風格を感じ取った客席からは、熱い拍手が起きる。
徐々に観客の視線は、上へ上へと移動していく。
ウィリアムが三味線のSHIRO=YAEを手に天津奏で舞いをすれば、奏でられた音は光となってウィリアムの周りに広がり、会場を照らす。
いっぽう歌音は、虹色夜光鍵盤。
肩から提げたその鍵盤は、音色と共に虹色を放っている。
「銀狐ちゃん、行くよ!」
シャーロットが術を唱え、灼熱の鳥「鳳」と「凰」を顕現させる。
火の粉を散らしながら飛び回る二羽に、シャーロットと銀狐が乗り、飛翔する。
シャーロットはにひひと笑って、眼下に小さくなっていくアレクスに告げた。
「さすがアレクちゃん。踊り、すごく上手になったね☆」
こうして舞台は上空へ――
並んで飛ぶ二羽の鳥の上……。
「銀狐ちゃーん、さ、2人で描こ?」
「何だと???」
「ママの空中似顔絵大会だよ♪」
シャーロットは、いつのまにか、槍のように大きな絵筆を手にしている。
虎又の焔絵筆だった。
「おもっ……!
銀狐ちゃん。ボク一人じゃ無理だから、一緒に持って、一緒に描こ?」
銀狐は大人しくシャーロットの言葉に従い、絵筆の端を持ち上げる。
「む。なんだこれは。牛鬼の焔絵筆に似ているが、それ以上のいわくと念を感じる」
「さっすがー。友達からの頂き物だし、これを使った時々の思い出も、いっぱいつまってるからね」
虎又の焔絵筆は、空中に炎の絵を残すことが出来る。
銀狐の術の助けも借りて、あっという間に、神々しい空の下に炎で描かれた絢狐の似顔絵が出来上がった。
「うん、似てる! ボク、ママに会ったことあるもんね♪」
唯一飛翔せずに舞台に留まっていたアレクスが、術を込めた花火を打ち上げる。
花火は開くと同時に、術による光の文字が展開される。
描かれた似顔絵のそばに、アレクスの術によって、光の文字が展開されていく。
絢狐様
祝☆お勤め終了
リトルフルール一同
「へへ、どんなもんだい」
アレクスはなんとなくご機嫌で舞いを踊りながら、空を見上げている。
上空には、炎の絵と光る文字。
その周りを、彩るのは、麒麟が乗せている二人の持っている発光する楽器。
そして火の粉を散らす二羽の灼熱の鳥。
さらにウィリアムが舞神召喚。
武芸を愛する天津神々が出現し、とびきりの芸を用いて、この場の祝福ムードをさらに喜ばしい雰囲気に変えていく。
頃合いを感じたウィリアムが、上空からひらひらと紙吹雪を散らせば、拍手と笑い声で会場は満ち溢れる。
そして今や舞台の右上の魔法陣は、書かれている文字が、読み取れぬほどに輝いている。
「もう、十分のはずなんじゃない?」
此花が心配そうに耳打ちしてきた。
銀狐の表情も、少し曇っている。
「母上の声が聞こえない。
先ほどまでは、直接耳の中に語りかけてくるように聞こえていたのに」
出番を待っていた深郷 由希菜にも、その話が聞こえてきた。
「何かが足りないのかな……俺にもお手伝いできるといいんだけど……」
観客達は、絢狐が現れないということは、魔法陣がまだ完成していないと思っている。
とにかく由希菜は、いつもの笑顔で舞台に立つ。
由希菜の芸格を感じ取った観客達は、次はどんなものが見られるのだろうと熱い視線を向ける。
るみ鳴子を光り鳴らしながら、由希菜は持って来た自作の歌『春起想』を歌い始めた。
♪ 目を閉じてみれば 温かい気持ちになる
♪ 浮かぶのはいつか 遠い日の一場面
♪ 笑いかける瞳が 弧を描く唇が
♪ 朧気(おぼろげ)に変わる
♪ 懐かしい瞬間(とき)を 思い出した
柔らかなメロディーと、思い出を振り返るような歌詞。
絢狐の目覚めを祝う気持ちを、春光繚乱の舞いにこめていく。
爛漫のクロスコードは、厳しい冬を乗り越えた春、花々が一斉に花を咲かす時の、あの華やかさで。
ここで由希菜は神通天幕を広げ、観客達の気持ちをさらにつかんだ。
辺り一帯が、神々しい雲海と光芒が満たす空に変化する中、ぽかぽかと晴れやかな調子の、おさんぽ日和の舞を踊る。
その辺をお散歩している小動物が集まるのを期待していた由希菜であったが……。
「……そんなぁ~」
先ほどの心美やリトルフルールの演目でさんざん騒いで満足したのか、疲れてどこかへ行ってしまったのか、小動物は集まって来ない。
由希菜と、舞台袖にいた銀狐の目が合った。
「ねぇ銀狐さん、ちょっと来てもらえない?」
由希菜は銀狐を舞台の上に連れ出した。
♪ 和やかな時間 日差しのように
♪ 心に差し込む 自然と微笑(え)む
♪ そんな懐かしの日々
♪ あなたの中にも きっとあるでしょう
再び歌い出しながら、由希菜は銀狐に向けて手を伸ばす。
由希菜は、銀狐の頭によしよし をした。
「よしよし。いい子、いい子」
「お前。なんのつもりだ」
舞台の上でいきなり頭をなでられた銀狐は、懐から符をごっそり出すと、ぎゅっと握って由希菜を見る。
由希菜は、あけすけに、がははと笑った。
「俺『オカンっぽい』ってたまに言われるからさ。
よしよしって優しくオカンみたいにふるまったら、何かが絢狐さんに届くんじゃないかな~って……。
本当は動物さんをよしよしするつもりだったんだけど、来てくれないから。
銀狐さん、変わりによろしくっ」
「……仕方ないな。思う存分やってみろ。母上を起こすためならなんでもしよう」
「よしよし♪ いい子だ。 よしよし……」
「うぅ……母上の手と違う」
「いーからいーから。よしよし」
ピクン!
銀狐の三角の耳が、突然勢いよく立った。
「銀狐さん?」
「来る」
銀狐が目を輝かせて由希菜を見た後、視線を移すと――
「私にも、触れさせて下さい……」
その予言通り、観覧席に女性が駆け込んできた。
「銀狐……本当に、あなたなのね」
銀狐と同じ、人間のような姿の狐――誰もが待っていた銀狐の母、絢狐だった。
アイドル達に誘導され、絢狐は舞台にあがり銀狐と対面する。
「母上……」
銀狐は、駆け寄ることも感情を爆発させることもなく、きわめて冷静な様子で絢狐の前に立っている。
「目覚めたはいいけれど、本当にあの場を離れていいものか判らなくて……。
あれこれ様子を伺っていたんですが、どうしても我慢できずに来てしまいました」
「声が届かなくなったのは、母上が目覚めたからなのか……」
「声? 私の声が、聞こえたの?」
「ええ」
「そうだったのね……。
私も、楽しい舞芸、拝見してましたよ。ああ銀狐、本当に立派になって……」
絢狐がそっと手を伸ばし、銀狐の頭をなでる。
「は……」
圧倒的に銀狐の方が背が高いのだが、絢狐は愛おしそうに、小さな子どもにするように、銀狐の頭をふぁさふぁさとなでる。
「眠っている間は、あなたが小さい頃の夢ばかり見てたの。よしよし、ふふふ、でもそういえば、あなたってもうこんなに大きいのね」
「母上……」
銀狐の声は冷静で控え目だが、少し震えている。
「ここは舞台。皆が見てます」
母から目をそらした銀狐は、努めて冷静にそう言うが、耳だけは正直に、ぴこぴこと動いている。
「続きは、また後でね」
そして絢狐は表情を引き締め、強い口調で言い切った。
「私は……あれを止めに、行かなくては」
「それにしても……銀狐くんも名題前かぁ……」
渋谷 柚姫は、横に並んだ銀狐にしみじみとした視線を送る。
「大変だったよね。名題前に上がるのってさ」
「ところで柚姫。本当に、やるのか?」
銀狐はお話を楽しむ気にならないらしく、非常に渋い顔をしている。
「もちろんだよ。これなら絶対、絢狐さんも喜んで目覚めてくれると思うよ?」
反して柚姫は、ノリノリだ。
「………………」
「もぅ、ほら行くよ?」
渋る銀狐を引っ張って、柚姫は舞台へ飛び出した。
舞台の向こう端からは、羽鳥 唯が飛び出して来た。
柚姫と唯、さらには一緒にいる銀狐の芸格を感じ取り、観客達は自然と視線が熱くなる。
柚姫と唯が元気よく神通天幕を広げれば、辺り一帯の風景が神々しい雲海と光芒が満たす空に変化する。
天幕の放つ特別な雰囲気に触れ、観客達は期待感たっぷりだ。
柚姫は天幕が作り上げた空に色街の花札をばらまき、色鮮やかに飾った。
「いいよ、銀狐くん!」
柚姫が合図すれば、しぶしぶながら銀狐が陰陽の折り紙を手に術を口ずさむ。
神が自然に折りたたまれ、
ぴょん♪
手のひらに乗るほど小さい、白い子狐が現れた。
子どもの落書きのように、ほんの少し不格好だが……
「……か……かわいい!」
観覧席から声があがる。
「久しぶりだな………」
平然とした態度であいさつしながらも、銀狐の耳はぴこぴこ動いている。
語尾が濁したのは、このキツネの名前を言いそうになったからだ。
子どもの時分につけた名なので、およそ人に聞かれてはならない。
「こんなかわいい式神や絢狐さんと、穏やかで楽しい幼少期を過ごしていた銀狐くんですが……」
ギュイン!
前に踊り出た唯が、夜桜六絃琴をかき鳴らす。
奏でるは、燃え盛る炎のように猛々しい和風ロックナンバー、唐紅六訓楼屡。
音にびっくりしてしまい、銀狐の白い子狐は逃げ去し、舞台の雰囲気はガラリと変わっていく。
「母上のためとあれば、仕方あるまい」
陰陽の術を唱え終わった銀狐が、虚空に忌々しく禍々しい文字を描きパンと手を叩く。
怨念の炎に包まれた真っ赤な狐が数匹、ゆらゆらと現れ出た。
「ただの演出だ。危険はない」
狐達は荒々しくもどこか切ない声をあげながら、唯の周りを駆け回る。
唯が奏でているのは、母、絢狐が処刑されたと思い込み、彼が人間たちに怒りを感じていた日々を現した曲。
観覧席にも、銀狐が作り出したこの地獄絵図が、そしてこの曲が、何を意味しているか伝わっている。
銀狐が術を解くと狐は消失し、そのタイミングで唯は曲を変える。
♪~
そして、天下御免の和風ラブソング。
唯は、再会を夢見て頑張る男性のラブソング……を、親子愛の歌詞にアレンジして歌った。
銀狐は表情を崩さないが、明らかに照れている。
観覧席からこちらを見上げている葦原の民は、心から銀狐の再会を願っていることが見て取れた。
今、自分の横にいる柚姫と唯も、これまで舞芸を繰り広げて来たふぇすた座の舞芸者達も――。
舞台の右上の魔法陣はますます輝き、その時がどんどん近づいていることを語っている。
「……」
銀狐は心をこめ、静かに詠唱する。
(母上に、今の葦原を見てほしい)
たくさんの符がばらまかれ、それは陰陽の術によって生き物の形に変化した。
影絵のようなフォルムだけだが、それがどんな生き物かは一目で判る。
鳥、虫、獣、爬虫類に両生類、そして妖怪達――
皆楽しそうに踊り出す。
「それじゃあ私は、人間を」
柚姫は、腕によりをかけて唐草紙人形を作り出す。
銀狐と柚姫、二人の手ですべての生き物が揃ったことを感じ取り、観覧席から拍手が起きた。
こうして現れた生き物達は、楽し気に踊り出し、唯の歌は最高の盛り上がりを見せた――。
どこから出てきたのか、先ほど逃げ消えたと思っていた白い小さな子狐の式神も現れ、
「かわいーい!」
観覧席から黄色い声があがり、やがて演目は終了を迎えた。
柚姫は、大きな紙で折られた大きな鳥――大折鳥に飛び乗って退場。
「次は銀狐が退場する番だよ? 笑顔笑顔♪」
唯にせっつかれた銀狐は、言葉に詰まっているようで、ただ静かに頭をさげた。
そして唯は、人当たりの良い下町喜色の笑顔を浮かべ観客に別れを告げた。
感じる……。
清々しい、ハレの気を。
いとおしい、あの子の気配を。
これは……夢なの?
それとも――
柚姫と唯との共演が終わりほっとした銀狐だったが、まだまだ出番が続き、大忙しだった――。
銀狐は一人で舞台に立つと、陰陽の術で数体のがしゃ骸骨を影を出現させた。
がしゃ骸骨たちは、今にも観覧席を襲いそうな邪悪さを醸し出しながら舞台を徘徊。
そして、銀狐自らも同じ雰囲気を出しながら、狂暴そうに舞い、歩く。
そこへ、白い女狐に扮した龍造寺 八玖斗が通りかかった。
「黄泉憑き達……。可哀そうに。操られているのですね」
八玖斗の芸格を感じ取った観客達は、自然と視線が熱くなる。
「出たな、陰陽師め」
黄泉憑きの銀狐はがしゃ骸骨達と共に、女狐の女形姿の八玖斗に襲い掛かる。
八玖斗は毛皮やしっぽを揺らし、慣れた身のこなしでそれをかわして呪文の言葉を口にする。
すぐにがしゃ骸骨は消失。
しかし銀狐だけは、舞台に残っている。
女狐の八玖斗は、実戦用の太刀『黄金丸』を(実際に抜いたら大変危ないので)鞘から抜くふりをしてふりかざす。
そして陰陽の術を使っているような仕草を演技しながら、朧芸者の符にて幻の舞芸者達を召喚した。
黄泉憑きと陰陽師の女狐は、迫真の殺陣を開始した。
本物の戦闘以上の派手で華やかな音や衝撃が起き、それを幻の舞芸者達が演奏と踊りで盛り立てる。
死闘の末、女狐は黄泉憑きを倒した――
倒した黄泉憑きを悲し気に見下ろし、女狐は懐に手を入れ一枚の紙を取り出し広げた。
「この子が大きくなっても、このような事が続くのでしょうか」
女狐の八玖斗は、観覧席にもよく見えるようにそれを掲げ、愛おしそうに眺める。
それは狐の半妖の赤子を描いた版画だった。
我が子を抱くように大切そうに胸に寄せ、女狐は歌い出す。
♪ 君の微笑み 守る為傷つこうと怖くないわ
♪ 例え立ち向かう物が 何であっても
おそらく誰もが銀狐と絢狐を想像し、しんみりとした表情になっている。
しかし……
(ん???)
八玖斗は、目の前で倒れている黄泉憑き役の銀狐が、耳をぴこぴこさせていることに気づく。
観覧席に顔を向けていないので目立たなかったが、八玖斗からは、表情までもよく見える。
銀狐の表情は明るく、今にも笑い出しそうだ。
(どうしたんだ? 銀狐)
八玖斗はその違和感を顔には出さずに演技を続け、深い声で意を決したように言う。
「貴方の住む場所が少しでも良くなるならば、母は後悔はしませんよ。
例えこの瘴気を封じる為に……貴方に二度と会えなくなっても」
だけどやっぱり銀狐、あなたに会いたい――
「……?」
八玖斗は演技を止めず、しかし内心首をかしげる。
いま、耳の内側で女の声が聞こえた気がしたのだ。
倒れている銀狐は、何か言いたげに八玖斗を見上げている。
その目は、輝きに満ちている。
♪~
そして芝居は佳境へ。
八玖斗は、女狐は、祈るように、捧げるように、葦原・花の舞を舞う。
♪~
そして桜の花びらが舞い踊る中、八玖斗はそのままゆっくりと倒れる。
「貴方は……笑顔で桜を見れますように」
今のあなたはたくさんの仲間に慕われて、笑顔で桜を見ているようね……
(ああ、まただ……)
不思議な声を感じながら、八玖斗は眠るように目を閉じた。
観覧席の皆が、涙ぐみ、拍手を送る。
しかしたった一人銀狐だけは、耳をぴこぴこさせながら目を輝かせている。
舞台を降りた先。
八玖斗は銀狐に共演の感謝を伝え、立話をしている。
「真実は知らないがな、こういう事だとしたらお前の母親って凄いな」
八玖斗の言葉に、銀狐は真顔で頷いた。
「なかなか当たっていると、感心していた」
「えっ?」
「母の声が、はっきり聞こえるようになってきた」
「なるほどそういうことだったのか。ああ……優しい声だったな」
これは、夢じゃない……
確かに聞こえる。
確かに感じる。
満ちていくハレの気。
楽しく、新しい舞芸。
これまでと違う風。
あの時よりもさらに立派になった、銀狐の気配――
こ れ は、夢 じ ゃ な い。
「銀狐ちゃん……もしかして、感じてる? ママの気配」
平静を装いつつもどこかそわそわしている銀狐の手を、シャーロット・フルールがそっと取った。
「銀狐さんのお母さん、遂に目覚める時が来たんだね!」
虹村 歌音は晴れやかに笑いながら、やはり銀狐の手を取った。
シャーロットと歌音は目を合わせ、そして心から嬉しそうに笑った。
((ホントに良かった! あの時は……見ていられないくらい、つらかったもんね))
シャーロットが明るく、しかし大切に大切に、銀狐に伝える。
「にゃは☆ やっぱ家族は一緒じゃないと」
その言葉の重みを知っている虹音が、まるでシャーロットのように飛び上がり、ひときわ明るく元気に言った。
「行こう、銀狐さん! シャロちゃん!」
舞台の右上。
魔法陣は、一等星のようにきらきらと輝いている。
シャーロットが、歌うように祈るように言う。
めでたき実りの祝いにて
母に習いて折りしは――
シャーロットの言葉に合わせ、銀狐が陰陽の折り紙を手に術を口ずさむ。
ぴょん♪
先ほど一度現れた、手のひら大の白い子狐が現れた。
会場が湧き和む中、アレクス・エメロードは豊穣をつかさどる天津神への祈りの舞い、御饌稲成を踊る。
「姫さん。必要だっつーから覚えてきたぞ」
踊りながらシャーロットを見るが、およそこの呟きが届いているとは思えない。
「悪い悪いアマツカミさん。まじめに踊るって」
アレクスは苦笑いして、踊りに専念。
ほどなくして、周囲には光の稲穂と狐達の幻が現れた――。
光の稲穂と狐達の走り抜ける景色の中、歌音が歌い出す。
多くの者が知っている、華乱葦原で定番の和風ポップ曲。
それをBGMのように軽く流し歌いながら、歌音は舞った。
歌音が踊るのは、ぽかぽかと晴れやかな調子のおさんぽ日和の舞。
それを、「狐の親子のお散歩」を心に描きながら舞う。
舞につられて、その辺をお散歩していた小動物――鳥やら猫やら兎やら――が集まって来る。
舞台上を行き交う、祈祷で現れた狐達も、銀狐の式神のちび狐も、妙に楽しそうに反応している感じがする。
――銀狐さんが幼かった頃を思い出してもらえると、嬉しいです。
歌音は、絢狐に話しかけながら舞った。
稲を刈り
落穂を拾いて
米を炊き
母は子へと餅をあげ
シャーロットと銀狐は、複数の小ぶりの折り紙を手に、陰陽の術を唱える。
するとそれは、自然に蝶の形に折られ、鱗粉のような粉を降り注ぎながら空を飛び周った。
舞台の上では、式神の蝶の力で用意されていた桜餅がふわふわと浮遊している。
シャーロットが一つ手に取りぱくりと食べて銀狐に説明する。
「此花ちゃんの桜餅だよ♪ んー、おいしーぃ」
「此花の?」
「銀狐ちゃんママと此花ちゃんママってお友だちだったみたいだから、
娘の此花ちゃんが作ったものでも、絢狐さんは懐かしいんじゃないかな」
シャーロットは浮遊するいくつもの桜餅を、観覧席に向けて押し出す。
「見てくれる皆にもお裾分けっ♪」
観覧席からは、嬉しい声があがる。
「甘~いお菓子でテンションあげたら本番だ☆」
シャーロットとアレクスが、ひらり、神通天幕を広げる。
辺り一帯が、神々しい雲海と光芒が満たす空に変化。
人々の期待がますます高まったことは言うまでもない。
歌音は天幕が作り出した神々しい空を見上げながら、小さく飛び跳ね天綴の舞を舞い、そこからより高度な天津舞いを展開。
歌音は空中に浮かびあがりつつ、舞い続ける。
ひらめく神通天幕の下、アレクスがダンと足を鳴らして威勢よく口上した。
「さぁ、こっからがリトルフルールの真骨頂!
目ん玉かっぽじって、とくと見やがれ!」
アレクスは、ハープのような形の楽器、陽の天津弦杖を奏で、歌音と同じく天津神の舞を踊り空中へ。
歌音とアレクスの2人が神々しい景色の下で、天津神の舞いを踊っていると……
ふわあっ……
観客の頭上から、風が起きた。
ひっそりと出番を待っていたウィリアム・ヘルツハフトが、麒麟に乗って空から華々しく登場したのだ。
麒麟は2匹。
その1匹に、ウィリアムが乗っている。
「歌音、来い」
ウィリアムは空中で天津舞いを踊っていた歌音に向けて、手を伸ばした。
「うん!」
歌音はウィリアムの手助けを借り、無事にもう1匹の麒麟に飛び乗った。
二人はそのまま、観覧席の上空へと舞い上がる。
これにてリトルフルールの4人が勢ぞろい。
4人それぞれが漂わせる風格を感じ取った客席からは、熱い拍手が起きる。
徐々に観客の視線は、上へ上へと移動していく。
ウィリアムが三味線のSHIRO=YAEを手に天津奏で舞いをすれば、奏でられた音は光となってウィリアムの周りに広がり、会場を照らす。
いっぽう歌音は、虹色夜光鍵盤。
肩から提げたその鍵盤は、音色と共に虹色を放っている。
「銀狐ちゃん、行くよ!」
シャーロットが術を唱え、灼熱の鳥「鳳」と「凰」を顕現させる。
火の粉を散らしながら飛び回る二羽に、シャーロットと銀狐が乗り、飛翔する。
シャーロットはにひひと笑って、眼下に小さくなっていくアレクスに告げた。
「さすがアレクちゃん。踊り、すごく上手になったね☆」
こうして舞台は上空へ――
並んで飛ぶ二羽の鳥の上……。
「銀狐ちゃーん、さ、2人で描こ?」
「何だと???」
「ママの空中似顔絵大会だよ♪」
シャーロットは、いつのまにか、槍のように大きな絵筆を手にしている。
虎又の焔絵筆だった。
「おもっ……!
銀狐ちゃん。ボク一人じゃ無理だから、一緒に持って、一緒に描こ?」
銀狐は大人しくシャーロットの言葉に従い、絵筆の端を持ち上げる。
「む。なんだこれは。牛鬼の焔絵筆に似ているが、それ以上のいわくと念を感じる」
「さっすがー。友達からの頂き物だし、これを使った時々の思い出も、いっぱいつまってるからね」
虎又の焔絵筆は、空中に炎の絵を残すことが出来る。
銀狐の術の助けも借りて、あっという間に、神々しい空の下に炎で描かれた絢狐の似顔絵が出来上がった。
「うん、似てる! ボク、ママに会ったことあるもんね♪」
唯一飛翔せずに舞台に留まっていたアレクスが、術を込めた花火を打ち上げる。
花火は開くと同時に、術による光の文字が展開される。
描かれた似顔絵のそばに、アレクスの術によって、光の文字が展開されていく。
絢狐様
祝☆お勤め終了
リトルフルール一同
「へへ、どんなもんだい」
アレクスはなんとなくご機嫌で舞いを踊りながら、空を見上げている。
上空には、炎の絵と光る文字。
その周りを、彩るのは、麒麟が乗せている二人の持っている発光する楽器。
そして火の粉を散らす二羽の灼熱の鳥。
さらにウィリアムが舞神召喚。
武芸を愛する天津神々が出現し、とびきりの芸を用いて、この場の祝福ムードをさらに喜ばしい雰囲気に変えていく。
頃合いを感じたウィリアムが、上空からひらひらと紙吹雪を散らせば、拍手と笑い声で会場は満ち溢れる。
そして今や舞台の右上の魔法陣は、書かれている文字が、読み取れぬほどに輝いている。
「もう、十分のはずなんじゃない?」
此花が心配そうに耳打ちしてきた。
銀狐の表情も、少し曇っている。
「母上の声が聞こえない。
先ほどまでは、直接耳の中に語りかけてくるように聞こえていたのに」
出番を待っていた深郷 由希菜にも、その話が聞こえてきた。
「何かが足りないのかな……俺にもお手伝いできるといいんだけど……」
観客達は、絢狐が現れないということは、魔法陣がまだ完成していないと思っている。
とにかく由希菜は、いつもの笑顔で舞台に立つ。
由希菜の芸格を感じ取った観客達は、次はどんなものが見られるのだろうと熱い視線を向ける。
るみ鳴子を光り鳴らしながら、由希菜は持って来た自作の歌『春起想』を歌い始めた。
♪ 目を閉じてみれば 温かい気持ちになる
♪ 浮かぶのはいつか 遠い日の一場面
♪ 笑いかける瞳が 弧を描く唇が
♪ 朧気(おぼろげ)に変わる
♪ 懐かしい瞬間(とき)を 思い出した
柔らかなメロディーと、思い出を振り返るような歌詞。
絢狐の目覚めを祝う気持ちを、春光繚乱の舞いにこめていく。
爛漫のクロスコードは、厳しい冬を乗り越えた春、花々が一斉に花を咲かす時の、あの華やかさで。
ここで由希菜は神通天幕を広げ、観客達の気持ちをさらにつかんだ。
辺り一帯が、神々しい雲海と光芒が満たす空に変化する中、ぽかぽかと晴れやかな調子の、おさんぽ日和の舞を踊る。
その辺をお散歩している小動物が集まるのを期待していた由希菜であったが……。
「……そんなぁ~」
先ほどの心美やリトルフルールの演目でさんざん騒いで満足したのか、疲れてどこかへ行ってしまったのか、小動物は集まって来ない。
由希菜と、舞台袖にいた銀狐の目が合った。
「ねぇ銀狐さん、ちょっと来てもらえない?」
由希菜は銀狐を舞台の上に連れ出した。
♪ 和やかな時間 日差しのように
♪ 心に差し込む 自然と微笑(え)む
♪ そんな懐かしの日々
♪ あなたの中にも きっとあるでしょう
再び歌い出しながら、由希菜は銀狐に向けて手を伸ばす。
由希菜は、銀狐の頭によしよし をした。
「よしよし。いい子、いい子」
「お前。なんのつもりだ」
舞台の上でいきなり頭をなでられた銀狐は、懐から符をごっそり出すと、ぎゅっと握って由希菜を見る。
由希菜は、あけすけに、がははと笑った。
「俺『オカンっぽい』ってたまに言われるからさ。
よしよしって優しくオカンみたいにふるまったら、何かが絢狐さんに届くんじゃないかな~って……。
本当は動物さんをよしよしするつもりだったんだけど、来てくれないから。
銀狐さん、変わりによろしくっ」
「……仕方ないな。思う存分やってみろ。母上を起こすためならなんでもしよう」
「よしよし♪ いい子だ。 よしよし……」
「うぅ……母上の手と違う」
「いーからいーから。よしよし」
ピクン!
銀狐の三角の耳が、突然勢いよく立った。
「銀狐さん?」
「来る」
銀狐が目を輝かせて由希菜を見た後、視線を移すと――
「私にも、触れさせて下さい……」
その予言通り、観覧席に女性が駆け込んできた。
「銀狐……本当に、あなたなのね」
銀狐と同じ、人間のような姿の狐――誰もが待っていた銀狐の母、絢狐だった。
アイドル達に誘導され、絢狐は舞台にあがり銀狐と対面する。
「母上……」
銀狐は、駆け寄ることも感情を爆発させることもなく、きわめて冷静な様子で絢狐の前に立っている。
「目覚めたはいいけれど、本当にあの場を離れていいものか判らなくて……。
あれこれ様子を伺っていたんですが、どうしても我慢できずに来てしまいました」
「声が届かなくなったのは、母上が目覚めたからなのか……」
「声? 私の声が、聞こえたの?」
「ええ」
「そうだったのね……。
私も、楽しい舞芸、拝見してましたよ。ああ銀狐、本当に立派になって……」
絢狐がそっと手を伸ばし、銀狐の頭をなでる。
「は……」
圧倒的に銀狐の方が背が高いのだが、絢狐は愛おしそうに、小さな子どもにするように、銀狐の頭をふぁさふぁさとなでる。
「眠っている間は、あなたが小さい頃の夢ばかり見てたの。よしよし、ふふふ、でもそういえば、あなたってもうこんなに大きいのね」
「母上……」
銀狐の声は冷静で控え目だが、少し震えている。
「ここは舞台。皆が見てます」
母から目をそらした銀狐は、努めて冷静にそう言うが、耳だけは正直に、ぴこぴこと動いている。
「続きは、また後でね」
そして絢狐は表情を引き締め、強い口調で言い切った。
「私は……あれを止めに、行かなくては」