ヒロイックソングス・レジェンド!
リアクション公開中!
リアクション
■3-2.想いをぶつけ
観客たちもかじりつくように会場を見つめる中、いつの間にかライブ会場は“水没”していた。
その中で、溺れ苦しむように足掻く麦倉 音羽の姿。水底で見えもしない水面へ向かって震える手を伸ばすが誰も助けになど来はしない。絶望めいたその光景、彼女は膝は崩折れ浮かび上がることなくへたり込む。
――これは単なる演技だ。水に沈む会場も麦倉 淳の作り出した演出であり、恐れる必要などない。しかしそれでも観客たちは息を呑んでそれを見つめていた。
へたりこむ彼女の陰からもうひとりの音羽が飛び出した。音羽は一度だけ振り返り、しかしすぐさま転身して空へ手を伸ばし水底を蹴る。その瞳には恐れはない。ただ力に満ちた眼差しが水面を睨みつけていることだけが見る人には伝わるだろう。
人々は懸命に生き足掻く彼女の姿を見て不安を覚えるだろうか。しかしそんな心もすべて受け止めながら彼女は一心に光を目指す。彼女が水を蹴るたび、世界に光が増していく。それは観客たちの心の中のエールが姿を変えたもの、彼女の姿を見たものは不思議と熱を帯び、がんばれ、と声を漏らしていた。
――音羽ちゃん。がんばって、なの!
これは栗村 かたりによる演出だ。人々の不安な気持ちを光へ変えるスキル――しかし、音羽を応援しようという人々の声は決して偽りなどではない。
かたりの気持ちに応えるように光は溢れ、気づけば、水は消え、そしてへたりこむもうひとりの音羽の姿もない。
どこかから聞こえたフルートバードの歌声に導かれるようにして音羽が足を向けたその先では、あたたかそうな花々が咲き乱れ、妖精に扮した白波 桃葉が動物たちとともにかたりを歌や踊りに誘っていた。
和やかな空気は春の日差しを思わせ、寒さの漂う水底から音羽と、そしてそれを見つめていた観客たちの心を温める。花の妖精桃葉は観客たちにウィンクを飛ばすと、まるで花畑に吹き抜ける春風のようにステップを踏み、彼女の足跡からは花の幻影が現れる。それを追うようにして、愛らしい姿のエレメントがステージを横断し、鮮やかな花々を咲かせていく。
――よしっ、カピバラ君も順調だな。今の所うまくいってるはずだ。
スクロールの力でこのステージを演出し続けている淳は額の汗を拭って肩の力を抜いた。ここは楽しく優しい場面でなくてはならない。そんな中で自分も緊張していたら世話がない。
――それにかたりも楽しそうだ。俺も楽しまないとな。
目が合うと、彼女は満面の笑みを浮かべてピースサインを送ってきた。おおっぴらに応じることはできないが、淳もまた小さく手を振って応じるのであった。
彼が演出するのは耐え忍び生き抜いたその先に広がる楽園。そこで暖かく迎える桃葉はこの先に待つ希望の具現化とでもいうところだろうか。音羽も心からここに心地よさを感じ、それが観客たちにも伝播していくようであった。
――でも、彼女はどうかしら。
音羽を楽園へと誘った花の妖精、桃葉。彼女の関心はこの場においてただ一人こちらへ敵意を向ける少女、アンラへと向けられていた。
彼女は今一人だ。確かにバビロン芸能事務所こそアンラに加勢しているが、彼女に寄り添うものはいるのだろうか。世界を絶望によって終わらせる少女、果たして彼女の希望は一体何なのだろうか。その鍵を握るのはやはり――。
アンラ・マンユの対となる少女、DEM。彼女は龍造寺 八玖斗と藤崎 圭の二人に促されるようにしてステージに上がる。
「生きることを諦めなければ人は輝ける。僕たちの歌を聞いて、みんなも自分の輝きを見つけてほしいな」
「【lives】。聞いてくれ」
演技は終わり、演奏が始まる。会場を照らすライトが彼らに集まり、この瞬間だけ完全に闇が取り払われた。響くのはヒロイックソングスのメロディー。しかし、ただそれだけではない。彼らもまたこの時のために、自分たちの想いを伝えるためにアレンジしてきた。
『今が最高なんて言わないさ
常に最低でもなんかにもがいて
好きな物とずっといたい
嫌いな物ばかりだけど』
それはストレートに想いを伝える歌だ。誰が聞いても伝わるように、誰が歌っても伝えられるように。
『今が最低なんて言わないさ
常に最高目指してもがくだけ
嫌いな物ばかりだけど
好きな物はいつもそばにいて』
六人の合唱にDEMのコーラスが重なり合って、より強い音の響きとなって吹き上がる。
『逆さ言葉だけでも変わる世界
気持ち次第だけじゃないと 言われても気休めでも言いたい』
それはこの会場――2029年の“ラスト・ヒロイックソングス!”に相応しい全力の演奏。彼らは終わりを迎えようとする世界に対して、生きようと足掻き力を振り絞ろうとしていた。
歌をリードしている八玖斗は己の力を使って合唱団の幻影を呼び出して一層に音を重ねていく。そして更に、アレンジに更に急場のアドリブまで入れ込んで演奏を楽しんだ。
『希望ばかりじゃ疲れるし 絶望もない虚無のが辛い
だから両方一緒に抱きしめて 皆一秒未来へ進んでく』
これは聞く人に想いを伝える歌。自分たちもまた楽しまなければ、どうして希望を伝えられるというのだろうか。
『満たされず生きる人の性
満たされないのが人ならば むしろ道は尽きぬと信じたい』
手の空くものは手をつなぎ合い、隣の熱を感じながらその歌を歌い上げる。
『だから皆生きているんだ 一瞬先の微笑みを ただ求めて……』
空には虹がかかり、星々の光が弾けるようにして彼らに降り注ぐ。その光に煌めくようにして、彼らは満面の笑みを浮かべながら観客たちに手を振りあげた。
彼らは全てを出し切った。しかし彼らの生はこれからも続くだろう。これまでの区切りをつけ、そしてこれから始めていくために。
次にステージに立った楢宮 六花もまた、そんな彼らのバトンを受け取った一人であった。
「行こう、アマービレ」
小さな神獣の子供、アマービレの頭を撫でると彼女は静かに一礼した。これまでとは打って変わって、どこか静けさと荘厳さを孕んだシンプルな旋律。彼女は大きく息を吸い込むと、想いとともに歌を紡ぐ。
『今日の善き糧、くださりたもう、暖かなるは陽の光
今日の善き日、おまもりたもう、勇ましきは金の剣』
彼女の周囲を柔らかく暖かな炎が包む。照らし出された彼女の衣装は願いの結晶。かつてある人がアイドルたちに着てほしいと願いデザインされたもの。
『今日の善き夜、みちびきたもう、静かなるは月の光
今日の善き夢、おささえたもう、疾風なるは銀の剣』
彼女は静かに、それでいて力強く歌い上げる。炎も衣装も、これまで彼女が積み上げてきた縁を象徴するが故に。
『歌い継ぐ継ぐ歌声の、途絶えることのなかりしかば
千日万夜の果ての果て、歌は神さえ聞き惚れたもう』
決して長い演奏ではなかった。しかしその歌は確かに彼女の歩んできた道を感じさせるもので、きっと、彼女に縁を持つものの心を打ったことだろう。
「最悪のイドラが押されている? なかなかやるじゃない」
アンラ・マンユは未だに態度を崩さないが、やはり焦れたのはバビロン芸能事務所の面々であった。当初の予定と違う、などと騒ぎ立て、アンラの意図するところを越えてパフォーマンスを始めていく。
アンラ主導ではない、バビプロ主導の対抗ライブ。しかしそれならば打つ手もまた変わってくるというものだ。
「よしっ、やろう! ……世界の命運をかけた最後のライブ、歌う曲は決まってる!」
「うんっ、延寿といっしょなら力も二倍、だよ!」
世良 延寿と泉 光凛が手を打ち合わせる。二人を追いかけるようにして、顔を綻ばせるように続くのは【PRESENT SMILE】の面々だ。
「この放送を見てるみんなも、私たちと一緒に歌ってほしいの。そして……みんなで一緒に、最悪のイドラに立ち向かおうよ!」
延寿の呼びかけと共に流れ出したのは『ある意味ラブストーリーかも』。幅広い層に支持されるプレスマの代表曲ともなれば老若男女、人を選ばず歌に合わせることが可能だろうという考えだ。
絶望的な未来に立ち向かう勇気を得た観客たちは時に拍手を、あるいはハミングで、歌声で、自分たちにできうる形で彼女たちに応えるのであった。
フェスタのアイドルたちは実に多様な演目で攻めてくる。だからこそ幅広い人々の心を捉えることができたのだろうか、それは奇しくも多様性を広げてきたアンラが撒いた種も混じっていると言えた。
そう。多様性だ。マイナージャンルであろうとも供給が絶えることはなく、それは、バビプロを通じてアンラが行なってきた活動によるものかもしれないのだ。
だからこそ羽鳥 唯は彼女に共感していた。女だてらに時代劇を好んでいた彼女にとって、そういった問題は身近であったからだ。
「だから、あなたが世界への絶望を歌うなら、私は世界への愛を歌ってみせます!」
アンラのロックに正面からぶつかり合う和風ロック。自身の中に眠る感情を指先に込め、夜焔の六弦琴をかき鳴らした彼女は、アンラの紡ぐ歌と相討つような意趣を込めた。世界の絶望――アンラの持つポテンシャルを、こちらのパフォーマンスに組み込む形である。
唯がアンラとぶつかっていくのをサポートしていた渋谷 柚姫であったが、ちらりと一度だけアンラに向かって視線を向ける。
「私は……ある人のために歌います」
聞く人が聞けば、誰に対して歌ったものかが理解できる曲であった。弾けるような明るさで構成された旋律に、思わず共演者たちや観客――そして、対決相手であるバビプロの面々すらも口ずさむ。
否、口ずさむだけではなかった。彼女の意図を察したバビプロのアイドルがステージに乱入し柚姫に対してハモりはじめた。
「……!」
「あなたたちにばかり、いい顔はさせられないものね?」
アイドル――ユキの乱入であっても、柚姫はすぐに順応し背中合わせで演目を続行する。
『ねぇ、周りを見回してごらんよ そこにはきっと仲間がいるから
繋げようよ僕らの心と心 離れていても心はそばにいるから』
――あなたのことは気に入らないけれど、私もアンのために歌わせてもらうわ。
柚姫とユキ、二人はただアンラ・マンユという少女の心を救うためにこの歌を歌い上げ、バビプロとフェスタの唐突な共演に場は一気に盛り上がった。
そして彼女たちの想いを受け止めて決意を再確認するアイドルたちも居る。桐山 撫子とウィンダム・プロミスリングはその一例であった。
「あはは、まさか私たちが“ヒロイックソングス!”で【Ultra Ray】の歌を歌うことになるとはねー」
「唐突でごめんなさい。けれど、撫子がアンラさんへと示す、想いの解。あなたたち【PRESENT SMILE】ならきっとそれを伝えられると思ったものだから」
「大丈夫。カラオケでよく歌ってるもの」
「……そこじゃないんじゃないかなぁ……?」
「ふふ。二番の歌詞を加筆したアレンジver、しっかり頭に入れたので、まかせてくださいねー」
賑やかな様子でステージへ再び登壇するPRESENT SMILEの面々。光凛の“困った人は放っておけない”性質か、あるいは柚姫の歌に心を動かされたのか、ノリノリの登場であった。
「それじゃっ、行こうか撫子!」
「ええ! 『ReadyGo・極』feat.プレスマ! あたし達の歌を聞いてねっ♪」
ある意味で、それは夢のコラボレーションとでも言うべきか。この“ラスト・ヒロイックソングス!”のために準備したReadyGOアレンジ。UltraRayがここに居ればなんと言ったか、文句を言ったか笑ったか。少なくとも分かるのは――彼らもまたここに参加したかっただろうことぐらいだろう。
『感じるままに ありのまま裏と表
無くした 笑顔は カケラ 拾って集める 無駄な事なんて!
強がりじゃない真実 無限の答え
さあ 迎えにゆく 涙 流れる
でも 悲しみと違うよ
嬉しくて 素直な 僕(僕たち)雫が導く』
観客ひとりひとりの瞳を見つめるかのように、そしてアンラの顔を直接覗き込むかのように丁寧に歌を紡ぐメンバー達。
『Destiny
彩られ 輝く命 生まれて 出逢えて 喜び解る瞬間
Destiny
終わらない 届ける陽射しを 微笑む 横顔 ずっと忘れない
立ち止まらず約束 記憶の底ダイビング
限りある時だから 誓いあう永遠に刻もう』
そして、この先の新たな場所に共に行こうと手を伸ばす。最早会場はフェスタとバビプロの対決であるというより、それぞれが想いを届けるために歌を連ねるような場所となっていた。アンラの拒絶の歌でさえも一つのパフォーマンスとなり、まるで大きな一つの演目を演じているかのような錯覚がある。アンラの心はアイドルたちがストレートに感情をぶつけてくる中で強くざわめいていた。
烏墨 玄鵐はそんなアンラの瞳をじっと見つめながらステージに立った者だ。
「…………」
交錯するお互いの視線。距離は離れ、間に炎を挟んですらいたが、不思議と相手の瞳の色まではっきり見えているかのような錯覚があった。
エレメントを操り空へ浮かび上がった彼は、そのままくるりと舞うことで一転、周囲の空気をしめやかなものへと変える。
――解け消える風の 優し音は 雪に鎖された空底に
響く、始まりの歌
幾千の傷抱え 過去に抗う声は
芽吹き言霊へと変わり 語る扉開かれゆく
深き諍いの中 散り伏す命はあれど
再び息衝く煌きを 包み込むように
終わり告げる歌声が 新たな命に繋ぐ
宵闇に眠る安らぎを 夢見るように 絡む縁の糸解き
また目覚め往くように 新たに紡ぐ道を 共に踏み出して往く
降り続く花灯り やがて緑の夢描く
幾重の命と声の中 貴方と在るように
アンラに向けて吟じられた詩。それ以上の言葉は要らないと、ただまっすぐにアンラを見据えた玄鵐。静けさに満ちたステージに柔らかな拍手が響き、晴れ渡る空に向けて芽吹くかのように花びらが舞っているのであった。
ここまで固唾をのんでライブを見守ってきた観客たちも、フェスタ生たちのパフォーマンスを見てきてある一つの事柄について気づきつつあった。世界の終末は確かに重大なものでもあったが――。
「私も……ある人のために歌います。世界を盛り上げたその人のために……“今度こそ、正真正銘の気持ちを込めて”!」
そんな言葉とともに空花 凛菜がステージに降り立った。ふわりとした笑みを浮かべながらステージの中央へと踏み込んだ彼女は、そのままたおやかな足運びで舞い踊り、観客たちの関心を惹く。
空から星が降り注ぎ、光が弾けるさまに合わせるかのようにアップテンポの曲調が響いた。彼女はただ真心をこめて“ある人”の奮闘を応援する。それが誰のためかといえば――最早、観客たちもそれを理解していた。
『アンラ・マンユ!』
「――――!」
モニターから響く声。そう、アンラのために歌うアイドルたちはこれまで数多く居た。言外のものであっただけで、観客たちはその空気を敏感に感じ取った。
凛菜の歌、これによって観客達は理解――否、認識したのである。アンラ・マンユは世界に終末をもたらす存在ではなく、今この場においては、この“ラスト・ヒロイックソングス!”をライブ対決によって盛り上げる一人のアイドルなのだ、と。
イドラの炎は最早勢いに陰りが見えている。観客たちがアンラ・マンユを恐れなくなったことで、大きく形勢が傾いた瞬間であった。
観客たちもかじりつくように会場を見つめる中、いつの間にかライブ会場は“水没”していた。
その中で、溺れ苦しむように足掻く麦倉 音羽の姿。水底で見えもしない水面へ向かって震える手を伸ばすが誰も助けになど来はしない。絶望めいたその光景、彼女は膝は崩折れ浮かび上がることなくへたり込む。
――これは単なる演技だ。水に沈む会場も麦倉 淳の作り出した演出であり、恐れる必要などない。しかしそれでも観客たちは息を呑んでそれを見つめていた。
へたりこむ彼女の陰からもうひとりの音羽が飛び出した。音羽は一度だけ振り返り、しかしすぐさま転身して空へ手を伸ばし水底を蹴る。その瞳には恐れはない。ただ力に満ちた眼差しが水面を睨みつけていることだけが見る人には伝わるだろう。
人々は懸命に生き足掻く彼女の姿を見て不安を覚えるだろうか。しかしそんな心もすべて受け止めながら彼女は一心に光を目指す。彼女が水を蹴るたび、世界に光が増していく。それは観客たちの心の中のエールが姿を変えたもの、彼女の姿を見たものは不思議と熱を帯び、がんばれ、と声を漏らしていた。
――音羽ちゃん。がんばって、なの!
これは栗村 かたりによる演出だ。人々の不安な気持ちを光へ変えるスキル――しかし、音羽を応援しようという人々の声は決して偽りなどではない。
かたりの気持ちに応えるように光は溢れ、気づけば、水は消え、そしてへたりこむもうひとりの音羽の姿もない。
どこかから聞こえたフルートバードの歌声に導かれるようにして音羽が足を向けたその先では、あたたかそうな花々が咲き乱れ、妖精に扮した白波 桃葉が動物たちとともにかたりを歌や踊りに誘っていた。
和やかな空気は春の日差しを思わせ、寒さの漂う水底から音羽と、そしてそれを見つめていた観客たちの心を温める。花の妖精桃葉は観客たちにウィンクを飛ばすと、まるで花畑に吹き抜ける春風のようにステップを踏み、彼女の足跡からは花の幻影が現れる。それを追うようにして、愛らしい姿のエレメントがステージを横断し、鮮やかな花々を咲かせていく。
――よしっ、カピバラ君も順調だな。今の所うまくいってるはずだ。
スクロールの力でこのステージを演出し続けている淳は額の汗を拭って肩の力を抜いた。ここは楽しく優しい場面でなくてはならない。そんな中で自分も緊張していたら世話がない。
――それにかたりも楽しそうだ。俺も楽しまないとな。
目が合うと、彼女は満面の笑みを浮かべてピースサインを送ってきた。おおっぴらに応じることはできないが、淳もまた小さく手を振って応じるのであった。
彼が演出するのは耐え忍び生き抜いたその先に広がる楽園。そこで暖かく迎える桃葉はこの先に待つ希望の具現化とでもいうところだろうか。音羽も心からここに心地よさを感じ、それが観客たちにも伝播していくようであった。
――でも、彼女はどうかしら。
音羽を楽園へと誘った花の妖精、桃葉。彼女の関心はこの場においてただ一人こちらへ敵意を向ける少女、アンラへと向けられていた。
彼女は今一人だ。確かにバビロン芸能事務所こそアンラに加勢しているが、彼女に寄り添うものはいるのだろうか。世界を絶望によって終わらせる少女、果たして彼女の希望は一体何なのだろうか。その鍵を握るのはやはり――。
アンラ・マンユの対となる少女、DEM。彼女は龍造寺 八玖斗と藤崎 圭の二人に促されるようにしてステージに上がる。
「生きることを諦めなければ人は輝ける。僕たちの歌を聞いて、みんなも自分の輝きを見つけてほしいな」
「【lives】。聞いてくれ」
演技は終わり、演奏が始まる。会場を照らすライトが彼らに集まり、この瞬間だけ完全に闇が取り払われた。響くのはヒロイックソングスのメロディー。しかし、ただそれだけではない。彼らもまたこの時のために、自分たちの想いを伝えるためにアレンジしてきた。
『今が最高なんて言わないさ
常に最低でもなんかにもがいて
好きな物とずっといたい
嫌いな物ばかりだけど』
それはストレートに想いを伝える歌だ。誰が聞いても伝わるように、誰が歌っても伝えられるように。
『今が最低なんて言わないさ
常に最高目指してもがくだけ
嫌いな物ばかりだけど
好きな物はいつもそばにいて』
六人の合唱にDEMのコーラスが重なり合って、より強い音の響きとなって吹き上がる。
『逆さ言葉だけでも変わる世界
気持ち次第だけじゃないと 言われても気休めでも言いたい』
それはこの会場――2029年の“ラスト・ヒロイックソングス!”に相応しい全力の演奏。彼らは終わりを迎えようとする世界に対して、生きようと足掻き力を振り絞ろうとしていた。
歌をリードしている八玖斗は己の力を使って合唱団の幻影を呼び出して一層に音を重ねていく。そして更に、アレンジに更に急場のアドリブまで入れ込んで演奏を楽しんだ。
『希望ばかりじゃ疲れるし 絶望もない虚無のが辛い
だから両方一緒に抱きしめて 皆一秒未来へ進んでく』
これは聞く人に想いを伝える歌。自分たちもまた楽しまなければ、どうして希望を伝えられるというのだろうか。
『満たされず生きる人の性
満たされないのが人ならば むしろ道は尽きぬと信じたい』
手の空くものは手をつなぎ合い、隣の熱を感じながらその歌を歌い上げる。
『だから皆生きているんだ 一瞬先の微笑みを ただ求めて……』
空には虹がかかり、星々の光が弾けるようにして彼らに降り注ぐ。その光に煌めくようにして、彼らは満面の笑みを浮かべながら観客たちに手を振りあげた。
彼らは全てを出し切った。しかし彼らの生はこれからも続くだろう。これまでの区切りをつけ、そしてこれから始めていくために。
次にステージに立った楢宮 六花もまた、そんな彼らのバトンを受け取った一人であった。
「行こう、アマービレ」
小さな神獣の子供、アマービレの頭を撫でると彼女は静かに一礼した。これまでとは打って変わって、どこか静けさと荘厳さを孕んだシンプルな旋律。彼女は大きく息を吸い込むと、想いとともに歌を紡ぐ。
『今日の善き糧、くださりたもう、暖かなるは陽の光
今日の善き日、おまもりたもう、勇ましきは金の剣』
彼女の周囲を柔らかく暖かな炎が包む。照らし出された彼女の衣装は願いの結晶。かつてある人がアイドルたちに着てほしいと願いデザインされたもの。
『今日の善き夜、みちびきたもう、静かなるは月の光
今日の善き夢、おささえたもう、疾風なるは銀の剣』
彼女は静かに、それでいて力強く歌い上げる。炎も衣装も、これまで彼女が積み上げてきた縁を象徴するが故に。
『歌い継ぐ継ぐ歌声の、途絶えることのなかりしかば
千日万夜の果ての果て、歌は神さえ聞き惚れたもう』
決して長い演奏ではなかった。しかしその歌は確かに彼女の歩んできた道を感じさせるもので、きっと、彼女に縁を持つものの心を打ったことだろう。
「最悪のイドラが押されている? なかなかやるじゃない」
アンラ・マンユは未だに態度を崩さないが、やはり焦れたのはバビロン芸能事務所の面々であった。当初の予定と違う、などと騒ぎ立て、アンラの意図するところを越えてパフォーマンスを始めていく。
アンラ主導ではない、バビプロ主導の対抗ライブ。しかしそれならば打つ手もまた変わってくるというものだ。
「よしっ、やろう! ……世界の命運をかけた最後のライブ、歌う曲は決まってる!」
「うんっ、延寿といっしょなら力も二倍、だよ!」
世良 延寿と泉 光凛が手を打ち合わせる。二人を追いかけるようにして、顔を綻ばせるように続くのは【PRESENT SMILE】の面々だ。
「この放送を見てるみんなも、私たちと一緒に歌ってほしいの。そして……みんなで一緒に、最悪のイドラに立ち向かおうよ!」
延寿の呼びかけと共に流れ出したのは『ある意味ラブストーリーかも』。幅広い層に支持されるプレスマの代表曲ともなれば老若男女、人を選ばず歌に合わせることが可能だろうという考えだ。
絶望的な未来に立ち向かう勇気を得た観客たちは時に拍手を、あるいはハミングで、歌声で、自分たちにできうる形で彼女たちに応えるのであった。
フェスタのアイドルたちは実に多様な演目で攻めてくる。だからこそ幅広い人々の心を捉えることができたのだろうか、それは奇しくも多様性を広げてきたアンラが撒いた種も混じっていると言えた。
そう。多様性だ。マイナージャンルであろうとも供給が絶えることはなく、それは、バビプロを通じてアンラが行なってきた活動によるものかもしれないのだ。
だからこそ羽鳥 唯は彼女に共感していた。女だてらに時代劇を好んでいた彼女にとって、そういった問題は身近であったからだ。
「だから、あなたが世界への絶望を歌うなら、私は世界への愛を歌ってみせます!」
アンラのロックに正面からぶつかり合う和風ロック。自身の中に眠る感情を指先に込め、夜焔の六弦琴をかき鳴らした彼女は、アンラの紡ぐ歌と相討つような意趣を込めた。世界の絶望――アンラの持つポテンシャルを、こちらのパフォーマンスに組み込む形である。
唯がアンラとぶつかっていくのをサポートしていた渋谷 柚姫であったが、ちらりと一度だけアンラに向かって視線を向ける。
「私は……ある人のために歌います」
聞く人が聞けば、誰に対して歌ったものかが理解できる曲であった。弾けるような明るさで構成された旋律に、思わず共演者たちや観客――そして、対決相手であるバビプロの面々すらも口ずさむ。
否、口ずさむだけではなかった。彼女の意図を察したバビプロのアイドルがステージに乱入し柚姫に対してハモりはじめた。
「……!」
「あなたたちにばかり、いい顔はさせられないものね?」
アイドル――ユキの乱入であっても、柚姫はすぐに順応し背中合わせで演目を続行する。
『ねぇ、周りを見回してごらんよ そこにはきっと仲間がいるから
繋げようよ僕らの心と心 離れていても心はそばにいるから』
――あなたのことは気に入らないけれど、私もアンのために歌わせてもらうわ。
柚姫とユキ、二人はただアンラ・マンユという少女の心を救うためにこの歌を歌い上げ、バビプロとフェスタの唐突な共演に場は一気に盛り上がった。
そして彼女たちの想いを受け止めて決意を再確認するアイドルたちも居る。桐山 撫子とウィンダム・プロミスリングはその一例であった。
「あはは、まさか私たちが“ヒロイックソングス!”で【Ultra Ray】の歌を歌うことになるとはねー」
「唐突でごめんなさい。けれど、撫子がアンラさんへと示す、想いの解。あなたたち【PRESENT SMILE】ならきっとそれを伝えられると思ったものだから」
「大丈夫。カラオケでよく歌ってるもの」
「……そこじゃないんじゃないかなぁ……?」
「ふふ。二番の歌詞を加筆したアレンジver、しっかり頭に入れたので、まかせてくださいねー」
賑やかな様子でステージへ再び登壇するPRESENT SMILEの面々。光凛の“困った人は放っておけない”性質か、あるいは柚姫の歌に心を動かされたのか、ノリノリの登場であった。
「それじゃっ、行こうか撫子!」
「ええ! 『ReadyGo・極』feat.プレスマ! あたし達の歌を聞いてねっ♪」
ある意味で、それは夢のコラボレーションとでも言うべきか。この“ラスト・ヒロイックソングス!”のために準備したReadyGOアレンジ。UltraRayがここに居ればなんと言ったか、文句を言ったか笑ったか。少なくとも分かるのは――彼らもまたここに参加したかっただろうことぐらいだろう。
『感じるままに ありのまま裏と表
無くした 笑顔は カケラ 拾って集める 無駄な事なんて!
強がりじゃない真実 無限の答え
さあ 迎えにゆく 涙 流れる
でも 悲しみと違うよ
嬉しくて 素直な 僕(僕たち)雫が導く』
観客ひとりひとりの瞳を見つめるかのように、そしてアンラの顔を直接覗き込むかのように丁寧に歌を紡ぐメンバー達。
『Destiny
彩られ 輝く命 生まれて 出逢えて 喜び解る瞬間
Destiny
終わらない 届ける陽射しを 微笑む 横顔 ずっと忘れない
立ち止まらず約束 記憶の底ダイビング
限りある時だから 誓いあう永遠に刻もう』
そして、この先の新たな場所に共に行こうと手を伸ばす。最早会場はフェスタとバビプロの対決であるというより、それぞれが想いを届けるために歌を連ねるような場所となっていた。アンラの拒絶の歌でさえも一つのパフォーマンスとなり、まるで大きな一つの演目を演じているかのような錯覚がある。アンラの心はアイドルたちがストレートに感情をぶつけてくる中で強くざわめいていた。
烏墨 玄鵐はそんなアンラの瞳をじっと見つめながらステージに立った者だ。
「…………」
交錯するお互いの視線。距離は離れ、間に炎を挟んですらいたが、不思議と相手の瞳の色まではっきり見えているかのような錯覚があった。
エレメントを操り空へ浮かび上がった彼は、そのままくるりと舞うことで一転、周囲の空気をしめやかなものへと変える。
――解け消える風の 優し音は 雪に鎖された空底に
響く、始まりの歌
幾千の傷抱え 過去に抗う声は
芽吹き言霊へと変わり 語る扉開かれゆく
深き諍いの中 散り伏す命はあれど
再び息衝く煌きを 包み込むように
終わり告げる歌声が 新たな命に繋ぐ
宵闇に眠る安らぎを 夢見るように 絡む縁の糸解き
また目覚め往くように 新たに紡ぐ道を 共に踏み出して往く
降り続く花灯り やがて緑の夢描く
幾重の命と声の中 貴方と在るように
アンラに向けて吟じられた詩。それ以上の言葉は要らないと、ただまっすぐにアンラを見据えた玄鵐。静けさに満ちたステージに柔らかな拍手が響き、晴れ渡る空に向けて芽吹くかのように花びらが舞っているのであった。
ここまで固唾をのんでライブを見守ってきた観客たちも、フェスタ生たちのパフォーマンスを見てきてある一つの事柄について気づきつつあった。世界の終末は確かに重大なものでもあったが――。
「私も……ある人のために歌います。世界を盛り上げたその人のために……“今度こそ、正真正銘の気持ちを込めて”!」
そんな言葉とともに空花 凛菜がステージに降り立った。ふわりとした笑みを浮かべながらステージの中央へと踏み込んだ彼女は、そのままたおやかな足運びで舞い踊り、観客たちの関心を惹く。
空から星が降り注ぎ、光が弾けるさまに合わせるかのようにアップテンポの曲調が響いた。彼女はただ真心をこめて“ある人”の奮闘を応援する。それが誰のためかといえば――最早、観客たちもそれを理解していた。
『アンラ・マンユ!』
「――――!」
モニターから響く声。そう、アンラのために歌うアイドルたちはこれまで数多く居た。言外のものであっただけで、観客たちはその空気を敏感に感じ取った。
凛菜の歌、これによって観客達は理解――否、認識したのである。アンラ・マンユは世界に終末をもたらす存在ではなく、今この場においては、この“ラスト・ヒロイックソングス!”をライブ対決によって盛り上げる一人のアイドルなのだ、と。
イドラの炎は最早勢いに陰りが見えている。観客たちがアンラ・マンユを恐れなくなったことで、大きく形勢が傾いた瞬間であった。